住職の法話
初めまして。
私の専門は、教育哲学です。これは要するに人間形成の哲学ということでありまして、救いを旨とする浄土真宗の教学には、直接には関係しません。けれども私は、自坊で正信偈の学習会というのを主宰いたしまして、今度やりますと八〇回ぐらいになりますが、お話しするうち次第に、教育哲学と真宗教学の関係に気づくようになりました。そこで今回は、両者の本質的な関係を探るというような形でお話をしてみようと思い、「自我の発達と救済」というテーマを掲げさせていただいたわけです。
【正信偈とは】
『正信偈』は、皆さんもよくご存じだろうと思います。この『正信偈』そして『般若心経』は、意味を知らずに勤めるお経の代表ですね。『正信偈』を務める人は沢山おりますけど意味を知っている人は、まずいない。『般若心経』の場合もそうですね。だけど、上手に務めるという方は、非常に多うございます。
ここにおみえの方には、『正信偈』について説明する必要はないと思います。けれども、これに関して一言申しますと、昔、本当に若い頃に、「『正信偈』って一体何書いてあるの?」と聞かれたことがありました。そこで、その頃知っておった知識を総動員しましてね、これは、親鸞作『教行信証』の中の、「行の巻」の巻末に出てくる一二〇句の偈文で、前段と後段に分かれていて云々というようなお話をじょろじょろとしましたら、こうやって手を振られまして、そんなこと言うてもらっても駄目。要するに『正信偈』は、一言で言うとどういうことが書いてあるのかと、こう問われて困ったことがありました。
昔、字の読めない讃岐の庄松という妙好人は、『大無量寿経』を読んでみよと突きつけられた時、ためらわずにそれを取り上げて、「これは庄松を助くるぞと書いてある」と答えたという有名な逸話がありますね。そういうふうに答えるだけの力量があればよろしかったんですけども、その時に、要するに一言で何が書いてあるのかをグッと掴むという課題をいただいたと思いました(とは言うものの、本当にそう思えるようになったのは、後になってからですが)。
『正信偈』は、親鸞の主著であります『顕真実教行証文類』、それを縮めて『教行信証』、その『教行信証』の「行の巻」の巻末に出てくるのが正信偈です。そして、これに関しては教学者の誰もが言うと思いますけども、注目されるのが教行信正という語順なんですね。これは要するに、「教」えがあって、その教えを実践するところの修行、つまり「行」があってそして自分のうちにその教えに対する信仰、「信」というのがあって、そしてその教えの正しさが証明される「証」がある。これらを並べたのが教行信正ということなんですけど、普通の我々の一般感覚でこれを読みますと教行信正という語順にならない。ここが面白いところなんですね。
具体的に言いましょう。例えばオウムの「教」えがあって、それを正しいと「信」じて、その通りに「行」ってみたら、教えの正しさが「証」明された。これを順序で言いますと教、信、行、証。こういう順序ならよくわかるんですね。あるいはこうも考えられます。「教」えがあった。半信半疑ではあったけれど、ま、その通りやってみましょうと思ってこれを「行」ってみたら、確かだということが「証」明されたたので、これを「信」じました。こうなると、これは教、行、証、信という順番になるわけですね。我々日本人の一般的な感覚といいますのは、この教信行証か、教行証信かどっちかなんです。では一体なぜ親鸞は、それを教行信証という語順に並べたのだろうか。ここが親鸞の教えの核心部分と言いましょうか、一番掴みにくいところであろうかと思うわけです
実はここには、こういうふうな順番があるわけです。
教えがある。我々がどういうふうにすれば救われるのかという教えがある。その「教」え通りに、命の仏がその「行」をやっておる。だから、我々の中に「信」が起こる。その事実によって、教えの正しさが「証」明される。こういう語順になるわけですね。主語は、私ではなくて、命の仏なんです。その点をまず踏まえるということが大変重要です。
それじゃ命の仏の教え、その一番の核は一体何なのか。
これをコンパクトに述べているのが『正信偈』ですが、その教えの核を、一言でギュッと掴んでしまいますと、<自我の執着心から解放されるところに救いがある>、そう要約することができると思います。自我の執着心と言いますけども、これは普通「我執」と呼ばれていますね。我執から解放される、それも、永遠にではなく、一時的に解放されるところに凡夫の救いがある。これが、『正信偈』の核ですね。
これ、どういうことか。
私達には自我があります。けれども、その自我の赤裸々な姿を剥き出しにしたのでは都合が悪いので、私達は自我の表に面をつけて、うまくたちまわっていますね。
より具体的な例をお話しをいたしましょう。私の母親は、今年の8月5日が来ますと満九二才になるんです。満九二才というのは凄い年ですね。自分で何とか活動できるものですから、自分で風呂に入って、多少頭を洗いまして、壁に手を沿わせ、この辺に滴を落としながら、入れ歯をはずして出て来ますと、もうこの世のものとは思えんような形相をしておるわけですよ。「うわ〜っ、えらいもんになった」って思います。
だけどまだ命が惜しいとみえましてね、月に1回ずつ近くの病院へ行くわけです。最近では言わなくなりましたけど、以前にはよく言いました。
「あそこの先生は、親切なええ先生で、あそこの病院へかわってよかった」。
「何でよかったの?」と聞きましたら、
「私みたいな年寄りにでも看護婦さんが親切に手を引いてくれるし、毎月おしっこの検査と血圧と検査をしてくれて、時々は血の検査もしてくれて。そして先生が診察の後、<おばあちゃん、あなたは少し血圧が高いけれども、1日に1回この薬を飲んで、きちんと病院へ通ってくれれば、十分血圧のコントロールもできるし、ちょっとおかしいところがあったら、すぐわかるから、ちゃんとお体を診せに病院に来てくださいね>、そう親切に言ってくださる。あの病院にかわって、よかったわ。」おばあさんは、親切な医者だと喜んで帰って来る。皆さん方も、恐らくそういうことを耳にしたことはおありかと思います。
しかし、それははっきり言いまして、医者が自我に付けておる面ということになりますね。これは言うまでもないことです。面を取って医者の自我を見たら、このお婆さん診察して診療点数はいくら、少しは人件費の足しになるかな、、、親切にしておけば、また受診してくれるだろう、そんな計算をしているはずです。
我々は、そんな自我をむき出しにしたのでは具合が悪いから、これに面を付けて、いい人だと思われるようにと振舞っておりますね。しかし、うまく振る舞っておるということは、ばれてるんですよ。この医者も、ばれてるんです。 だって近所の人が言うてますよ。「あの先生は<やぶ>やけど、口は上手や」ってね。
だけど、自我に面を付けて頑張るという生き方、患者にはこういうふうに親切にして、看護婦はこういうところを厳しくして、そして経費を節減して、こういうふうに宣伝をしてやれば病院の経営はうまくいくというふうに、あれこれ計算して一生懸命頑張って一生歩み続けるその先に、自分の一生はこれでよかったという救いの世界が待っておるかというと、残念ながら、どこまでこの道を歩いても救いの世界には至らない。こういう問題が生じてくるわけですね。
まだ駄目、もう少し頑張らなきゃ駄目、あの人に比べたらまだ駄目。そして、ああいうヤツがいるからいかん、こういう人物がいないからいかん。そんな道をどんどこ歩み続ける。煩悩の炎を燃え立たせながら、そうやって歩むことが楽しくてしょうがない。こうして年をとって、最後に、死にたくないけれど、もうこれまでかという感じで人生を終っていく。こういう生き方そのもの、つまりこういう自我に執着する生き方そのものからの解放、ここにこそ人間の救いが開かれる。こういうふうに正信偈の教えの核を掴むべきだと思います。
ではこのことが、自我の発達とどう関わるのか。その点をお話ししていきましょう。
【自我の発達】
自我と言いますのは、意識する主体です。自分の肉体の主であり、自分というものを知っておる自分であり、眠っておると自我というのは掴みどころがないわけですけども、覚醒しておる時には、私はここにおるという認識の主体となる。これが自我ということになります。
この自我というのは、いつ頃生じて、どんなふうに発達変化していくのでしょうか。私は、いろいろ浄土真宗のお話を聞いてきましたけども、その自我の成長発達のプロセス云々ということに言及した真宗の教学というのは、今まで一ぺんもお目にかかったことはありません。
完成されたおとなの自我だけを問題にするわけですね。つまり、人間というのはこういう自我の執着心があるとか、そういう執着心こそが悪なのだとか、それは死ぬまで捨てきれないものだ云々という、そういうようなお話は何度も聞きました。けれども、赤ん坊の頃にその自我が一体どのようにして成立し、それがどのように大人の自我へと発達し、その自我がどういうふうに衰退していくのかという、そういう流れと、この正信偈の教えとは、どう関係するのか。この点こそが、今日のお話のメインテーマということになるわけです。これを最初からお話していきたいと思います。
先ず、自我一。それは、こういう意味です。
普通の人間は、自分がおって、自分というものはこういう自分だというふうに、その自分を知っていますね。ここで自我は、二つに分けることができます。つまり、知っている自分と、知られている自分、この二つです。もっと平たく言うと、これはIとmeです。自分Iは、自分meを知っている。そういう構造になるわけです。
これをもう少し詳しく言います。
meの一番最初はどういう姿か。こんな実験があります。人間は、自我があるということに気づいているわけですけども、生後間もない赤子が、はたしてその自我に気づいているのか。もし気づいているとして、なぜ、気づいていると分かるのか。また、自分というものに気づく年齢はいくつぐらいか。そんなことを、どう確かめたらいいかという実験なんですね。
その実験の中身は、しごく簡単で、生まれてから6ヶ月、7ヶ月、8ヶ月ぐらいの子どもに鏡を見せてみるということなんです。そうすると赤子は、鏡に写っているのが自分だとわかるかどうかという、こういう実験。(もちろん最近では、テレビカメラ等を用いて、もっと高度な実験がなされています)
さて、生後6ヶ月くらいの子どもに鏡を見せますと、ごく普通の子どもは、鏡に写っているのが自分であるという反応をしない。子供は、鏡の自分を見つめたり、声をかけたり、笑いかけたりします。これは、鏡の中に他人がいるという反応ですね。そこに写っているのが、自分の姿だということがわからない。そこに映っているいるのが自分だと分かるためには、自分Iが、この身体meから独立し、これ対象とすることができていなければなりません。六ヶ月くらいの子供には、こういう、Iとmeからなる自我が成立していないのです。
身体があり、その中にいるけれども、そこから独立し、その主である自我。これを自我一と呼びましょう。ほとんどの子どもに自我一が成立するのは、1才半。これは、言葉を話し始める頃ですね。(それ以前に関しては、細かく区別することができます。大まかに言いますと、感覚の主体、物的身体の主体、感情の主体、映像的身体の主体、そして意識の内容の主体、このように発達するmeを知っている主体ということになります。自我というのは、こんなふうに発達してくるわけです。)
とにかく、一番最初に成立してくる自我一は、総じてただ一つのmeを感知している主体ということになります。
従って、この自我は、他人の立場に立って自分を見る、視点を他人の立場に移して自分を見るということができません。自分が見ている自分だけなんです。こういう自我一の性質を自己中心という言葉で呼ぶことがあります。
この自己中心というのは非常に面白くて、保育園・幼稚園の先生は、よく体験しますね。例えば、この紙1枚、これをどうしても父兄に渡したいと思うようなことがあって、子どもたちに、ちょっとくどく呼びかけるわけです。
「ねえ、みんな、この紙大事な紙だから、うちに帰ったら、この紙をおとうさんかおかあさんに渡すんですよ。みんな、わかったね。」
こう、しつこく言うわけです。
普段と違って、先生がやけにしつこく重要なんだと言うと、十人の子どもの内、1人か2人の子が必ずやって来て、「先生、僕帰ったら渡すん?」と聞くわけですね。そこで、先生は思う。「あれだけくどく言ったのに、何でこれが通じないのか。何で確認に来るのか。今時の子どもは、よくわからんな」と。
謎解きをしましょう。「みんな、これうちに帰ったら、おとうさんかおかあさんに渡すんだよ」というふうに説明するわけですけども。その「みんな」という概念の中に、自分が入っているというふうに思えない。「あっ、そうか、うちに帰ったら、みんなはおとうさんかおかあさんに渡すのか。そうすると僕は、渡したもんか渡さんもんかどっちかな」という、こんな感じになるわけですね。つまり、先生の立場に立って、「みんな」というふうに言ったら、その「みんな」の中には自分も入っているのだ、そういうふうに把握することができないわけですね。
それを自己中心と言いいますね。つまり、自分の視点だけから自分を見ておって、他人の立場に立って自分を見ることができない。そういう自我の姿というのが、言ってみれば最初の自我一の姿ということになるわけですね。
ではこの自我一は、その後どうなっていくのか。
自我二の誕生
有名な実験があります。使い古されたような話で恐縮ですが。「アンとサリーの課題」というのがある。これは四才から五才の子どもを被験者にしますね。こういう実験なんです。
四角いダンボールのような箱A・Bを用意します。A・Bの箱には蓋が付いていて、蓋を閉じると中が見えない。そして、この二つの箱を見渡せるところに、例えば太郎君という四才の子を座らせて、そしてこういう実験をやるわけです。
アンという子がお人形を持って来て、Aの箱の蓋を開けてこの中に入れました。アンはポンと蓋を閉じて行ってしまいました。そしたら、サリーがやって来て、Aの中のお人形を取り出して、Bの箱へ移し変え、その蓋を閉じて行ってしまいました。今度アンがやって来た時に、アンはお人形を取ろうと思って、AとBのどっちの蓋を開けるでしょうか。こういう問題を出すわけなんですね。
どっちを開けるか? アンはAにお人形を入れたわけですよね。サリーがここから人形を出してBへ入れた事をアンは知りませんよね。だからアンは、当然Aの箱を開けるに違いありませんね。これは我々の普通の考えですね。では我々はなぜそう考えるのか。それは我々がアンの立場に立って考えているからです。つまり、アンという他人の立場に立ってこの課題を考えるから、この問題が解けるわけです。けれどもね、、。四才の子どもを被験者にしてこれをやりますと、どうなるか。A・Bどっちの蓋をアンは開けると思いますかと問うと、ほとんどの子どもはBを開けると言います。なんでこっちを開けるかというと、アンの立場に立つことが出来ないからなんです。つまり自分中心の立場でものを見てしまう、、、こういうことなんですね。ところが五歳の子どもは、ほとんどこの課題をクリアーし、アンはAを開けると答えます。従って、この四才から五才の間に、自我は劇的な発達をするということが考えられます。
どんな発達かというと、他人の立場に立って物事を考えられるようになるということ、従いまして、他人の目で自分を考えることができるようになるということ。つまり、他人の目をもった新しい自我二が誕生するわけです。その結果、自分が考えている自分と、他人の立場に立って考える自分との間にズレが生じてきます。
もっともこの種の実験には、学んだ知識や知能が少々関係するかも知れません。というのは、例えば四才か五才くらいの子どもに「お嬢さん、太郎君の右手はどっち?」というふうに聞いてみる。ただそれだけで、この子が、太郎君の立場に立って右・左を考えているか、自分の立場に立って考えるかが分かりますね。けれども、右・左を教えられていない子は、これがつかめないですね。お箸を持つ手が右でお茶碗が左なんて教えられていますと、左効きの子は逆に持っているわけですから、ますます混乱するというようなことが起こってよくないですね。
ま、とにかく、そういうふうに、自我が二つに分化してくる。すると、これまでには無かった事態、つまり自我一と自我二が対話をするという事態が起こってきます。内なる対話ということですね。これにもいくつかの発達的グレードがあります。その対話は、次第にグレードを上げていきます。でも基本的には、こういうふうに、自分の中で対話、葛藤を繰り返すという自我の姿がずうっと続くわけです。
自我三の誕生
やがて、中学校の一年生か二年生、そのぐらいの、いわゆる思春期と呼ばれる時期になると、もう一つ非常に大きな劇的変化が生じてきます。
それは、対話する二つの自我を調整し、自分は本当は何を欲しているのか、どう生きたいのかを問題にするという、そういう自我三が誕生するからです。これは、自分の心の中でこうした方がいいというふうに感じている自分と、ああした方がいいというふうに考える自分と、そういう二つの自分が対話をしておったけれども、その対話を感知し、そのどちらがいいのかを判定する主体になるわけですね。
そういうふうに自我が分化していくことを、私は、多元化と呼びたいと思っています。自我は、多元化という形で発達を遂げていく。こう大きく押さえておきましょう。
そしてどうなるか。この三つの自我は、迷い(流転)の世界を生きることになります。自我一の立場に立ったり、二の立場に立ったり、三の立場に立ったりして、これらをめぐるということなんです。具体例をあげましょう。
皆様方もそういうご経験をなさったかと思いますけれど、親が死ぬ。そして、死んだ親が残した遺品、着物とか指輪とか株券とかそういうものがある。そういう遺品等を、忌明けかそれくらいの時に兄弟で分配する。そういうことをしますね。形見分けですね。親の遺品を分配する形見分け。これは面白い川柳がありましてね。
泣き泣きに よい方を取る 形見分け
面白い川柳で、本当に皮肉な状況が伝わってきます。これを見てもらうと自我が三つに分化している姿がわかるかと思います。泣いた自分(自我一)は確かにいるんです。もののない時代に親は一生懸命育ててくれて、自分の食べるものも節約して私を育ててくれた、その親がとうとう力尽きて死んでしまったかという、何か感慨深いものがあるんです。
ところが、自我二は考える。こんなふうに感傷に浸っておったならば、大阪に嫁いだ姉がやって来て、いいものをみんなもって行ってしまうから、母の残した大島だけは何とか隠しておかねばいかん。こんなふうに計算して、よい方を取りたいという意識が働くわけですね。
そして後日、隠しておいた母親の形見の大島をもって自宅へもどり、この大島は高いだろうなあと一人ほくそえみながら着物を眺めていた時に、自分の心の中にもう1つ浮かび上がってくる感覚がある。それはどういう感覚かと言いますと、私という人間は、年を取っても、いつまでたっても、浅ましい根性が抜けん私だなという感覚がフワ〜ッと出てくるわけですね。
そうしますと、泣いた自分(自我一)がいたわけです。そして、その泣いた自分というのを差し置いて、大きい方、良い方を取りたいというふうに実際に行動した自分(自我二)もいたわけです。ところが、そういう対話を感知し、そんな自分の姿を見て、私とていうのは、いつまでたっても浅ましい人間だな、一体どうやったら本当に穏やかに生きられるのかなあということを考える自我三もいる。これら三つの自我が、思春期以降、それぞれに自分を主張するということがおこるわけです。。
ちなみに、この「泣き泣きに 」の川柳を、二十歳ぐらいの学生に示しても面白がりません。私、あちこちの大学で何度もやってみたんです。ずいぶん工夫して示したこともありました。でもほとんどの学生は、フウ〜ンという顔はしますけれども、黙ったままです。この句の面白味がいまひとつ伝わらないんですね。自我が三つに分化して、この三つが葛藤を起こしているということを幾度となく体験し、これを面白いというふうに感じられるほど、人生経験を積んでいないということなんでしょうね。
【自我の迷いを知る】
さて、これら三つの自我は、どういうふうになっているかと言うと、自我一と自我二が対話をし、それを自我三が考えるということでありますが、この三つは常に揺れ動き、迷っています。
ちょっと確かめてみましょうか。私のお話、これ五時から始まって四十五分たったわけですけども、その四十五分間に皆さんが心の中で一体どういうふうなことを考えてみえたかということを、ちょっと今思い起こしてみて下さい。おそらく最初は、この人一体何をしゃべるんかなと思って、前向きに聞こうとして下さっていたと思います。ところが、何か難しそうなことを言い出すと、今晩のおかず何にしようかしらとか、6時ぐらいまで聞いておれるかなあとか、さっきバスの中で誰かが変なことを言っていたとか、帰ったら忘れずに仕事の電話をかけなければ、なんて風に自我の意識は揺れていって、そしてまた、この話の内容によって、聞くという姿勢に立ち帰る。そういうふうに自我は揺れ動いていますね。
現実を離れてフラフラフラと揺れ動いていく先は、とてつもない空想、妄想の世界なんですね。それは論理を超えた世界なんです。白日夢の世界と言ってもいいでしょうね。そして、現実に戻ってきて、どうすればよい方がとれるかをアレコレ算段する。これを一週間か一ヶ月、そういうスパンで見た時に、まさに「泣き泣きに よい方を取る 形見分け」そんな揺れ動きになる。これはまさに、自我が迷う姿ですね。
でも、そういう心の動きというのは人に告白しませんから、私一人しか知りません。ところが、それがちょっとしたことでさらけ出されることがある。すると自我の迷いは、苦悩という様相を呈してきます。例えば、こういうことなんですけど、
? 最初は、そういう心の迷いは、まだ誰にも知られていない。そして、大島の着物をもって家に帰り、こう思っている。母の死んだことは本当に悲しかった。泣けて泣けてしょうがなかった。昔、母は私に、「あの大島が似合うのはお前だけだ」と言うておった。この着物を着ていると、母思いだった私が、母の愛情に包まれているような感じがして、何ともいい気分になる。
こういう時は、自我の迷いはほとんど感じられず、自我は安定した状態にありますね。
ところが、忌明けから少し過ぎて、姉から電話がかかってきて、「あの大島は、姉の私がもらうはずの着物だったんだから、勝手に盗って行かないでおくれ。母親の晩年の手紙にもそう書いてあるよ」そう言ってきたらどうなりますか? 母の愛に包まれておるようでいいわというような気分がいっぺんにふっ飛んでしまい、私は決して盗ったのではないとか、何とかこれを姉に譲り渡さないですむ算段はないものかとか、うまく事を納める方法はないものかというふうに考えざるをえない。自我の安定は、崩れるわけです。
そこでその手紙を見せてもらったら、確かに着物を大事にせよというふうには書いてあるけれども、姉にやるとは書いてない。「やると書いてないよ」そう必死になって反論した。そしたら、「姉の私にあてた手紙なんだから、私にやるというふうに母は言ったはずなんだ」という返事。ああ、困った。
すったもんだの渦中に投げ込まれ、どんな風に事を納めたらいいかと悩む。これは自分だけの問題だけじゃなくて、親族が知るところの問題になりますね。「あの大島、妹が盗ったんだって」という声まで聞こえてくる。そうなると心穏やかではいられない。着物1枚であれこれ悩まねばならんということが起こってくるわけですね。こじれるのもかなわんし、何とかいい手立てがないものか。そう自我は悩み続ける。
そして最後に結論を出すわけです。私は、優しくてあたたかだった母さんが好き。これが自我一です。ところが、自我二は、もう少し現実的に考える。波風がたたないようにうまく言って、着物は姉に返してやろう。今度私が着物を着ることはもうないだろう。高いといっても大島くらい、たかが知れている。そして自我三は、そういう二つの自我をみて、私は清く正しく生きればよいのだ云々と考え、たかが着物1枚でこんなに悩んで、馬鹿みたいだったと思う。更に最後に、「それにしても、強欲な姉じゃ」とおまけが付くわけです。こうして何とか落ち着くわけです。
そうすると、ここで三つの自我は、迷いの状態から再び、一応、調和安定した自我に戻りますよね。
ところがしばらくたって、初盆か何かで親族が再び会ったとき、その姉からこう言われたらどうしますか?「あんたは本当に油断も隙もない子だね。昔からの癖、治ってないね」
この一言で、調和したつもりがいっぺんに飛んでしまって、これは何とかしてあの姉をいっぺんやっつけてやらないかんというふうに考える。
自我とは、大体そういうものなんです。
自我の歩みというのは、三つの自我が、安定を求めて堂堂巡りをしているだけのことなんですよ。もちろん、スケールが大きいか小さいかはありますよ。一日で調和するか、何年かにわたって迷い続けるか、それはありますよ。にもかかわらず、安定を求めて迷うという基本構造は変わっていない。ここが大変重要なんです。
ここから正信偈の話に接続していきます。
このような自我、安定を求めて止めど無く迷いを続ける自我、その自我の執着心から自由になるということは一体何を意味しているかということなんですが、それはですね、こういうふうに自我が迷っておるんだということを丸ごと見ることができるような四番目の自我、自我四を誕生させよという、こういう課題を正信偈は指し示しておるということなんです。
「正信偈」の一番の核は、本願名号正定業 至心信樂願爲因 です。これは、説明しだすと厄介なんですけど、一言で言ってしまえば、我々を自我の執着心から解放してやろうと願う本願(命の願い)が、名号、つまり自我崩壊の声となる、そんな体験をすることによって、三つの自我に執着しないでもいいような新たな自分が誕生する。このことによって、心が軽くなり、救いがもたらされる。これが、正信偈が指し示す救いの核だ。そう私は思っています。
これは、論理的に説明することもできますけれど、ここでは、これを象徴的に示す俳句を挙げたいと思います。
山頭火という俳人なんですけど、ご存じでしょうか?
彼は、大きな造り酒屋の息子として生まれて、一生ろくな仕事もせずに、お酒ばっかり飲んで、女が好きで、自由に生きましたね。五七五に捕らわれない、季語にも捕らわれない、そういう自由律俳句を生涯作り続けて、最後は野垂れ死にのような形で、脳溢血で死にます。彼は、酒に飲まれてしまって、私も酒嫌いじゃないですけど、彼は浴びるように飲んで、三日三晩飲み続けて、もう座ぶとんにお酒をぶっかけて転がっているようになる。そんな感じの酒飲み。ま、アルコール依存ですね。
それで彼は、何とかそこから立ちなおり、一生懸命何とかしようと思って、一時は出家もして修行をするんです。けれども、托鉢でもらってくる米やら何やらで酒を買うて。最後にお金がなくなると料理旅館に上がりこんで三日三晩飲み続け、芸者を上げてどんちゃん騒ぎをやって、金がないということで人に借りて、それも踏み倒してというそんな生活をずうっとやりながら俳句を作り続けた人物です。
(1)先ず、彼の句を、一句味わってみましょう。
てふてふ ひらひら いらかをこえた
これは山頭火が、自分に厳しい修行を課して、永平寺のどこかで庭掃きをしておる五月か六月のころ、薫風に煽られて蝶々がひらひらと飛んで来て永平寺の大伽藍の甍を越えていく、それを詠んだ句なんですけども。
私は講義で「てふてふ ひらひら いらかをこえた」の句を学生に示して、どういう句と思う?と聞くんです。
そうすると、ほとんどの学生が、「そりゃ先生、蝶々がヒラヒラとこういうふうに甍を越えて行きました、という句です」と言う。「ああ、そう。それだけ?」「それだけと違うんですか?」 二十歳ぐらいの子では、この句の深みが読めないんですね。
今年の学生は面白いのがおりましてね。この句の意味は?と問うたら、学生曰く、「山頭火は好きな芸者がおって、その芸者に何とかしようと思ったけれども、自分が飲んだくれで、お金もなくてどうにもならんので、ずいぶん追いかけてはみたけど、その蝶々は逃げて行った、そういう句と違いますか。」「うーん、ユニークな解釈だねえ。」と言ったこともありました。
この句は、私が思うに、これは蝶々が甍を越えたというふうな状況を歌ってますけど、歌われているのは、自分ですね。ここに庭を掃いている山頭火がおる。彼は自問自答する。自分は酒に飲まれてどうにもならない。女がほしくてどうにもならない。どんなに修行をしようと思っても修行に挫折する。自分のような人間は、何もできない。彼が生きていた時代は、戦前、戦中、戦後の時期ですからね。彼は、まさに非国民の代表みたいな人間ですね。私は一体どうやって生きていったらいいだろう。何の稼ぎもないし、能力もないし、酒が好きなだけで、女が好きなだけで、何の取り得もない。汚い心の人間だ。そう自問自答する山頭火がフッと見上げてみると、折りしも薫風に煽られて蝶々がヒラヒラと甍を越えていく。
あんなちっぽけな蝶々ですら、薫風に煽られて何とやすやすとあの大伽藍を越えていくのに、それに引き換えてこの私というのは、煩悩の大地をのたうちまわるだけ。何という救いようのない人間だ。そんな重い沈み込んだ気持ちが、蝶々の軽やかさと対比される。だからこの句の裏には、煩悩に満ちたこの自分というのはいかにして救われるのかという課題が隠されておるわけです。
この句は、救われない自分という課題を直視していますので、近代人に強く訴えかけるものがあります。でも彼に、一体どんな救いの世界があるのかと言うと、これが彼には見えていないですね。
ところが、もう一人、山頭火(一八八二−一九四〇)と同時代の人に、これあまり知られない人ですけども、えら江良へきしょう碧松(一八九一−一九七七)という人物がおります。彼は、山口県の田布施という所に生まれ、生涯、親譲りの田畑と小さい家、それを守り続けて亡くなった人物です。彼は長男を事故で亡くしています。そして次男と三男が戦死しています。このことで、一時中断はあるんですけれども、また俳句をずうっと作り続け、九十歳で亡くなります。彼の句を一句あげましょう。
人生、 一本橋 くわかついで通る
これも、また学生に聞くわけです。どういう句だと思います?
「私の人生というのは、自分の住んでいる所からちょっと離れた田んぼか畑まで、1本橋を渡って、くわを担いで通って行った。来る日も来る日もそういうふうにして畑を耕してきましたという、そういう句でしょ。」多くの学生はそう答え、「彼は頑固な人だったと思います」と付け加えますね。
そういう答えでは、この句を読んだことになりません。句の表面だけのことですね。
一体どこが凄いと思いますか?と学生に聞くんですけど、その答えは、人生か、一本橋か、くわを担いでか通るか、これだけしかないわけですから、学生も困るわけですね。
この句の一番凄いところはどこかと言うと、この「、」なんですよ。では、なぜこの点が凄いのか。それはこの点が、自我の迷いが吹っ切れるということを象徴しているからです。
例えばですね、もうここであなたの人生終わりですという刃を突きつけられ、「人生 」という出だしを示され、その後に何か続けてご覧なさいと言われた時のことを考えてみる。すると必ずその後に、あのときこうすればよかったのになあという悔いのようなものが残りますでしょ。それは江良碧松も同じだっかも知れません。自分の人生は一体何だったんだろうか、親から譲られたこんなわずかな小さな畑を一生耕している。そして、喰うや喰わずの生活、作物のできが悪い時には、本当に貧乏暮らし
よくてもそこそこの生活しかできず、そんな人生をずうっと歩んで、一体自分の人生に何の意味があったんだろうかと。もっといい生活ができたのではなかろうか。こんな田畑を全部売ってしまって、岡山か広島か、その辺りに出て、あるいは東京辺りに出て、株に投資して大儲けができたんじゃないか。戦争を経てますから、あの時代に東京の土地でも買い占めておけばバブルで上がってすごい儲かったかもしれんとか、いろんなことを考えると思うんですけども。
江良碧松は、そういう様々な自我の迷いと煩悶、それを全部吹っ切っきってしまい、「私の人生は、くわかついで通るだけでございました」と答えますね。自我の迷いを越えるということ、それを象徴するのがここに打たれた一つの「、」なんです。 …これだけの人生でありました。それ以上を求めない、それ以下を引き合いに出さない。ただ自分の寸法だけの人生を生きました
。そういう深い納得があるんですね。だからこそ、この句には、彼の救いの世界というのが垣間見られるんです。こうやって二つ並べてみるとそれがよくわかるかなと思います。
(2)同じような素材をうたっている両者の句を、更に比較してみましょう。まず山頭火の句
雨ふるふるさとははだしであるく
この句から何が伝わってくるかと言いますと、確かにふるさとに対する郷愁のようなものがある。無くなったふるさとを懐かしんで、裸足の足の裏でその感触を確かめたいのだが、足の裏から伝わってくるふるさとの感触というのは、力強い確かなものでは無くなっており、もうほとんど消えかかっていて、自分には二度と取り返せない感触ですね。そんなニュアンスがこの句から伝わってくる。
ここでふるさとと言っておりますのは、心の居場所みたいなものですね。自分がそこに
立って生きていけばいいんだという、その立脚地のようなもの、自分を支えてくれる心の大地、それが山頭火の場合、もう消えかかっている。消えていないにしても、頼りないものになっている。だからこそ近代人の郷愁をそそるわけですが、この句から、山頭火の救いの世界は伝わってきませんね。では江良碧松の場合はどうか。
裸足で 麦踏む 春になっている
彼の裸足に伝わる感触は何かと言いますと、春になるとちゃんと命を芽吹かせる大地の存在の確かさのようなもの。自分を支え、どう自分があがいても、どう飛び跳ねても、ビクともしない命の基盤、自分の心の居場所。それが足の裏から感じ取れるように思いますね。
(3)最後に、似たような両者の句を並べます。まず山頭火の有名な句
分け入っても分け入っても青い山
では彼は、山を分け入って一体どこへ行くのでしょうか。もうちょっと行くと何か希望がありそうな感じですが、それがまだ見えてこない。一体自分の行き着く先はどこだろうか。ちょっとロマンチックな感じはするわけですけども。分け入っても分け入っても青い山を歩いておる山頭火に、歩く意味や目的があるかというと、この句からはそういうニュアンスは伝わってきませんね。近代人のロマンに訴えかけるという要素はありますけどね。では、これと対比される碧松の句はどうでしょうか。
掘っても 掘っても 土はあり 秋の空もあり
掘っても掘っても土はあり。ここで止めますと、こんな仕事は大変だとか、人生は苦だとか、そんなことを思うと思いますね。でもその次に、秋の空はありという言葉が続きます。ここで、自分という虫けらのような小さなものが、どれだけ尽くして一生懸命やってもビクともしない大地があって、そしてどうにもできないくらいの大きな秋の空があって、その大自然に抱かれて、煩悩具足の自我が生かされておるという、大いなるものに包まれて生活しておる自分というニュアンス、それがここから伝わってきます。その大いなるものとは、実は碧松自身の救いの世界ということになるわけですね。
さてここで話しを元に戻してみますと、山頭火は、自我の迷いを何とか解決したいのだが、どうにもならない、どうしようもない、そんな基本哲学に立っています。これ三つの自我が迷う姿そのものです。
碧松の場合は、そんな風に迷っている自我をまるごと包み込むような目をもっていますね。それは、第四の自我を生きる人間でないと作れないような境地と言えます。そこに、俳句そのものの良し悪しとは別にして、作者の立つ次元と言いましょうか
、その深みというか高さというか、それが碧松の方が1枚上手だなという、そういうところを感じさせるわけです。
これも面白いんですけども、三つの自我の迷いの世界から第四の自我の世界へ行けという促し、これを感じることを、往想(オウソウ)の回向といいます。そして第四の自我の立場に立とうとするとき、まさにこの世界へ来いという呼びかけがあったのだと思い当たる。これを還想(ゲンソウ)の回向といいます。『正信偈』には、往還廻向由他力(オウゲンエコウユタリキ)という言葉が出ていますね。これは、行ったり来たりの話ではなくて、促しと招請だと思います。(それはまた、機の深信と法の深信と重なり合いますが、ここでは触れません。)
この第四の自我が住まっておる世界、それが浄土世界だというふうに考えるとよろしいですね。この浄土世界に行くのは、往想の廻向による。それは同時に、この自分に対する還想の廻向があったと感じられる。これら二つの回向が、共に、自我の力によってではなく、自我を越えたものの働き=他力によって実現できるという、これが正信偈の説くところの往還廻向由他力という一句になります。
【浄土に生きる人間】
この第四の自我に目覚めた人間、つまり、他力の信を得た人ということになりますが、それは一体どんな人でしょうか。これは口で説明するよりも、実際そういう人物にお会いになるのが一番いいと思いますね。私なんかは、そういうことを理屈で解説しておるだけですけど、実際そういう人と面と向かってお話しをなさって、その人の魅力を感じとられるといいと思います。でもまあ、思いつくままに、他力の信を得たひとのいくつかの特徴を挙げてみましょう。
1:他力の信を得た人は、人間というものは自我に面を着けて生きているということを静かに見ていますね。だから、いつでも裸になるし、見え透いたようなお世辞を言わないです。少々アホな人もそうですから、面白いんですけどね。見え透いたような御世辞を言われたときは、無表情に聞流すといいですね。これは、言った相手を恥じ入らせます。
2:他力の信を得た人は、威張らないです。普通の人間は、何かいいところを自慢をしたいし、自分より上の人を何とか下げたいと思う。けれども、人より威張りたい、威張った人を下げたいという感覚が伝わってこない。そんな特徴がありますね。
私も大学ではこういう普通の格好をしておりますけども、自坊へ帰りますと衣着て、年忌法要にも行きます。そこで、門徒さんとしゃべっておっても、一番辟易するのが自慢話です。特に、わしは、どういう人と人脈があるとか、市長とこの間飲んだとか、どこどこの協会の何とか会長とはつき合いがある云々という話を聞かされるのはかなわないですね。でも、信を得た人は、そういうふうに威張るということが全くないし、いばってもそれがいやみになりません。
3:また、信を得た人は、他人におべんちゃらを言うて媚びません。
私は、こういうところに勤めておりますからよくわかるんですけど、大学の教員なんていうのはみんなおべんちゃらの世界です。影では皆でそれをこき下ろすわけです。会社でもそうだと思いますね。正面ではうまいこと言うといて、影に回ってみんな扱き下ろすという、そういう虚飾の世界の中に生きておるわけです。
そういうふうにおべんちゃらを言うたり、人に媚たり、ゴマをすったりして本音を隠しているという、そういう生き方から解放される姿を、信を得た人に見ることができますね。これはなかなかできないことですね。
4:信を得た人は、非常に言いにくいことをさらっと言います。
例えば、自分の子どもの出来が悪くて云々というようなことは、なかなか他人にはさらっと言えません。長い年月をかけて、この子はこの子なりの生き方があるんだということを何とか納得して、ようやく展望が開けて、実はうちの子どもはどうにも駄目で、中学校の成績は1ばっかしでということを何とか告白するんだろうと思いますけど、その非常に言いにくいことをさらっと言ってしまえる。そんな特徴がありますね。
昔テレビのコマーシャルに、禁煙パイポというのがあって、「私はこれでたばこをやめました、私はこれでたばこをやめました、私はこれでたばこをやめました。」そして最後の人は、「私は(小指を出して)コレで会社をやめました」というのがあって、面白かったんですけど。これはテレビのコマーシャルだから面白いですけど、実際問題として、そこそこの年齢で町内会か何かに出て行って、私はこれで会社を首になりましたとは言えませんですよね。でも、そういう非常に言いにくいことをさらっと言える。例えて言えばそういうことがある。
5:そして、そういう人だから、この人ちょっと足らんのじゃないかと思っていると、するどく自分の盲点を突いてくる。こういう特徴がありますね。
これは浄土真宗の妙好人と呼ばれる人々の言行録をたどってみるとよろしいね。もちろん今日でも似たような人が沢山おみえになるかと思います。人間が困っておる、その困る原因が自我の執着心にある、そこの辺りのところを非常にシャープに突いてくる。そういう特徴がありますね。
6:他力の信を得た人に接しますと、これは私も何度かあるんですけれども、こちらが面を付けて身構えるという必要を感じさせないんですね。これは本当に素晴らしいものだと思います。
こういう偉い人だから、面を付けて頑張ってボロを出さんようにしようと思って、あれこれ考えるというのが普通の人間ですけども、そんな面を付ける必要がない。心の中が自然にさらけ出されていき、その人に無条件で包まれていく。だからこれは、人格者とは違うんです。悪いことは一切しない。道路交通法は絶対犯しませんというような人格者とは違う。人格者の前へ出ると我々は固くなりますよね。でも、信を得た人の前に出た時には、こちらは身構える必要を感じさせません。
7:更に言えば、この人は、他人の評価を気にしないという特徴がありますね。つまり、褒められても照れない、クサされても落ち込まない。これはできないですよ。
大学の教員の世界で、こんなことができたら大したもんです。褒められたら、すぐ有頂天になりますし、クサされたら、あいつの足引っぱったろうというのが大体大学の世界ですから、そのことから考えると褒められても舞い上がらずクサされても落ち込まない、淡々と生きている。何ものにも障碍(邪魔)されることはない。こういう生き方ですね。
以上七点を挙げました。
他力の信を得た人は、こういう風に生きる。そう言い切ることができればいいのですが、、こういう風に生き続けることはできません。この自我四を生きるけれども、また現実の迷いの世界、三つの自我の世界に戻って来ざるを得ない。
唯円が親鸞に尋ねますね。「念仏もしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと。またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろう 」云々。真宗の念仏は、有難いと思っていたけれども、いつの間にやらその感激が消えてしまって、娑婆世界で右往左往しているだけになってしまった。どうしてだろうか。この問い対して親鸞は、だからこそ、仏はそんなお前を救おうとしているのだ、大悲の悲願は、お前のような凡夫にこそかけられておるんだ、と言いますね。
まさに迷える自我の立場に立ってみたり、第四の自我を生きてみたり、こういうふうにしながら私どもは生きるわけです。だから、浄土真宗の人間の生き方というのは、曇天の下での生き方に例えられますね。
雲霧之下明無闇(ウンムシゲミョウムアン)という言葉が出てくるわけですけど、雲やら霧やらの下に生きる。カラッと晴れてはおらんのですけども、真っ暗闇ではない。うすく太陽が照らしておる。そして、その光をさえぎっておるのは、ほかならぬ自分の煩悩という雲や霧なのだということが感知されている。真っ暗ではないから歩いて行ける。こういう風に、信を得た行者の姿が正信偈の中に描かれている。私思いますのに、からっと晴れた信心、自分はこれで完全に救われたというのは、浄土真宗の信心ではないですね。からっと晴れたら、それは、偽物だと思います。
【終わりに】
最後ですけども、これはあまり時間がなくて詳しいお話はできませんでしたが、もう一つだけ、劇的な一点を指摘する必要があります。それは何かと言いますと、自我というのは無だということです。
自我は、最初は、自我一、これだけだったんです。
ところが、5才ぐらいになって自我二が誕生してきた。そして思春期になって自我三が誕生してきた。そして、ほとんどの人間は、これらに迷って生涯を終えてしまうわけですよ。ところが、浄土真宗の信に目覚めることによって、第四の自我を生きることが出来るようになる。往生人の生き方が展開されていく。そして第四の自我のウエイトは、次第に重くなっていく。
このように、三つの自我と第四の自我を行ったり来たりしながら人間は生きるわけですけれども、そういう自我の生き様全部を知っておる私Iが存在するわけですね。
一から四までの自我の中身は、全部meなんです。おわかりいただけます? 自我一、自我二、自我三、そしてこれを越える自我四。これらをIは全部知っている。つまり、Iという一貫した自分があるわけですね。私はあの時に消えてしまって、新しい自分が誕生した、というのじゃなくて、次第に多元化し、そのことによって迷いを深め、これをまるごと越えたり、また舞い戻ったり、そんないろんなことをしながらも、私はこういうふうに一生を歩んで来たという、その自分の一環性のようなものを認める主体、これがIということになるわけです。
このIの立場を極力重視していった時、それはまた、第四の自我に生きることが本道となってきた時ということになりますが、その時一体どういうことが起こるか。それは、meの中身、つまり自我一から四までの自我の中身全て、これは実は虚像であったという、私の実体というのは何もなかったということが知られるという、そういう事態が起こるわけです。
その時にどうなるかと言いますと、その時に人間は成仏するわけです。この成仏というのは第十一願ということになります。必至滅土の願ですね。他力の信を得て浄土に往生した人間は、必ず、自我の全体が虚像であったという世界に行く。その時に、成仏する。こういうことになりますね。
自我の発達と『正信偈』をつき合わせてみると、こういう関係が見えてこようかと思うことなんです。予定時間が過ぎましたので、お話はこんなところで終らせていただきます。
『正信偈』を自我理論で見るということは、まずしないだろうと思います。そういう意味では、いい意味では珍しく、悪い意味で言うと馴染まなかったかなと思いますけれども、意とするところは、おわかりいただけたんじゃないかと思います。
最後に、宣伝めいて恐縮ですが、北畠知量著『浄土往生』高文堂出版 という本があります。大体、お話ししたようなことが書いてあります。今日の話しに興味をもたれた方がおみえでしたら、読んで補なっていただくとありがたいと思います。
どうもありがとうございました。
2002年6月8日 同朋大学いのちの教育センターにて
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